2014年度 第3回勉強会

―安全保障と憲法9条―

惠隆之介氏(元海上自衛隊士官、作家、ジャーナリスト)


 6月13日、日吉キャンパスにて「安全保障と憲法9条」というテーマのもと、元海上自衛隊士官で作家・ジャーナリストの惠隆之介氏をお招きし、勉強会を行いました。


日本人の狭窄的な軍事認識とその弊害


 平和をことさら美化する日本では、安全保障や憲法改正の議論において様々な妄言が飛び交っている、と惠氏はお話しされた。例えば第二次世界大戦後の日本で練られた軍事戦略である「専守防衛」であるが、これは圧倒的に優勢な戦闘力を有する軍隊でもなければまず実現不可能なことなのだ。また、「軍隊を持つから戦争に巻き込まれる」という声も耳にするが、これほど的を外した意見もそうそう無いとのことだ。太平洋戦争においては軍部が悪者であるとの認識が日本人の間には定着しているが、当時帝国海軍は開戦には反対しており、またシビリアンコントロールも機能していたのだ。世論を開戦へと扇動した張本人は当時の政治家やマスコミなのである。このような誤解を防ぐには、歴史を客観的に把握することが必要だと述べられた。 


 戦後60年間、平和が続いたためか政治家までもが軍隊に対してピントのずれた認識を持つようになってしまっている、と惠氏は続けられた。この弊害は竹島問題などに顕著である。1953年に竹島へ韓国の義勇兵が上陸する事件が発生した。義勇兵の戦力は低く、竹島の奪還は十分に可能であったのに当時の日本政府は警察力の行使をしなかった。それどころか、国際問題に発展することを恐れ、義勇軍に対して威嚇射撃を行った自国の巡視船の主砲を武装解除し、韓国の実効支配に対して何の対策も講じなかったのだ。今日の竹島をめぐる日韓関係の混乱を考えると当時の日本政府首脳の責任の重さは計り知れない、と話された。


戦後沖縄が果たしてきた役割


 戦後アメリカに統治された沖縄県には、ピーク時では2,000発の核弾頭が配備されていたそうだ。これは中国全土を射程に収めていて、大きな抑止力になっていたのである。しかし、当時から内地(日本本土)の人々は観念的な平和議論に明け暮れていたようだ。惠氏によると、外国の憲法は有事を想定しているのに対し、日本国憲法は恒久平和を前提としていて、有事の際の取り決めが何一つなされていないのである。 


 戦後の日本本土の安全は沖縄に依るところが大きい。これは沖縄の地理的位置が東京やフィリピン、北京などと近く、戦略上の拠点として優れていることに由来する。中国が現在、宮古・石垣両島への上陸作戦を想定した訓練を実施していることや、南沙諸島の一部を無断で埋め立て飛行場を建設したことを考えると、沖縄に米軍の核ミサイルが存在したことは抑止力において大きな意義があったのだ。


第二の幕末


 続いて惠氏は、今後東シナ海で大きな紛争が起きることが予想される、と述べられた。沖縄近海ではレアメタルを豊富に含む海底熱水鉱床が発見されているが、中国はこれを奪うかのような独自の日中中間線を主張している。それどころか、中国は今現在すでに日中中間線(我が国が主張する)の日本側よりで石油の採掘を行っているのだ。平成8年、彼らの採掘の証拠を那覇基地の対潜哨戒機が撮影したのだが、あろうことか、基地に帰投すると、我が国の外務官僚から基地司令を通じてこの対潜哨戒機の機長に「リグ上空を飛ぶな」と釘を刺したのだそうだ。これでは官僚に自国の国益を守ろうとする意識がない。本来、高い身分の人間には高い義務が付随するものだが、それが為されていない。また、日本には「国家反逆罪」といった法的対策がないため、スパイや利敵行為を働く者に対して無防備であるという問題点も惠氏は指摘された。未来の日本は最悪の場合、傀儡政権と化している可能性すら考えられるそうだ。 


 それでもアジアの各国は日本に期待を寄せている。ところが、我が国の一部の文化人や学者は無分別に第二次大戦における戦勝国の史観(日本は侵略戦争をしかけた)を固守し続けているのだ。外交とは力の均衡の上に成り立っている。我が国だけが守勢に回ってばかりいては平和など訪れず、身ぐるみをはがされてしまうのだ。そもそも、国家の行為を個人の倫理観の延長上に見てはいけないのである。しかし、これを理解していない日本人は多いと惠氏はお話された。


沖縄と米軍


 ここで、惠氏は占領時の沖縄とアメリカの関係を収録したDVD映像を紹介してくださった。それによると、日本本土で在日米軍は批判的に報道されているが、実は在日米軍は沖縄に対して様々な貢献をしていたそうだ。その例として、沖縄の子供に野球を教え、学校施設の整備にも尽力したワイリー・テイラー氏や、「沖縄の看護の母」と呼ばれたワニタ・ワーターワース氏が紹介された。特に、ワーターワース氏の設立した看護学校は、医師不在で住民が医療を受けられない地域に進出したり、看護学生を米軍病院に派遣して最新技術を学ばせたり、と様々な取り組みを行ってきた。その結果、沖縄県民の寿命は47歳(戦前)から87歳(昭和47年、沖縄返還時)へと大きく向上した。 


 惠氏は、現在の沖縄の医師養成カリキュラムは、アメリカの統治下のころよりもレベルダウンしている、と指摘された。それは日本とアメリカのシステムの差に依るとのことである。実際、医局制度の影響で縦割り社会と化している日本の医療をGHQは「中世の医療」と揶揄していた。米英のそれはチーム医療体制で各科をまたぐ問題を解決したり、医者とナースが同格の位置づけであったり、プライマリ・ケアを重視したり、とアメリカの医療制度は日本よりも確かに進んでいたのである。


動乱の時代に必要となる姿勢とは


 戦前の沖縄は亜熱帯ということもあり感染症が多く発生していたという。また、ドラマなどでは美化して描かれがちな琉球王国だが、その実態は北朝鮮の統治に近く、識字率も極めて低く、一般大衆は農奴と化していたのだそうだ。しかし、戦後アメリカが介添えしてくれたおかげで沖縄は本土との遅れを回復することができたのである。たしかに戦争に敗けたことは悔しいことだが、戦勝国のノウハウを学び、それに比肩しうる、もしくはそれ以上の国やシステムを構築していくことが重要なのだ。これは薩英戦争に敗れた薩摩藩がイギリスに留学生を派遣して学ばせたことにも通ずる。動乱に鍛えられた人間は強いのだ。最近の若者は打たれ弱いが、これから到来するのは動乱の時代なのだ。精神力をうんと強くする必要があるだろう。 


 現在の東シナ海の状況は、もはや憲法解釈を変えるといった微修正だけでは対処できないレベルに達しているとのことだ。しかし、自衛官の社会的地位が低いために、防衛の現場では士気が低迷しているそうだ。アメリカなどでは優秀な軍人は外務省や国務省にスカウトされ、様々な場でその知見を活かしているのだが、縦割り社会の日本ではこれが実現できていない。このような状況で私たちに必要なことは、地に足のつかない平和論を振りかざすのではなく、国際基準で思考し、国際的責任を果たすことである。今、日本は第二の幕末を迎えている。歴史を勉強することで未来を予測し、民衆が率先して付いていきたくなるようなリーダーになってほしい、と惠氏は締めくくられた。


質疑応答


Q.(学生側)「熱水鉱床やレアメタルといった資源は紛争の要因となりうるが、日本は今後どうこれに対処していけば良いのか。」

A.(惠氏)「竹島問題と同じで、初期段階が肝心。現行憲法のような『相手国からの攻撃を受けて初めて武力を行使する』という姿勢では遅いのだ。より強気な心構えを見せておかないと資源は奪われ続けてしまうだろう。」

Q.「講義において『自己犠牲が必要』と述べられていたが、これは具体的にはどのようなものか。」

A.「自衛隊を27歳で退職したあと、著書がベストセラーになったため、地元琉球銀行が私をスカウトしてくれたことがあった。以来、私はそこで働いていたが、平成9年以降、日本政府が基地反対派を優遇するように態度を転換してからは行内で孤立するようになってしまい、また銀行からも執筆を止めるよう要請されていた。当時私には子供がいた。だが、私は銀行を辞めた。生活は苦しくなったが、それが私の自己犠牲である。私以外に沖縄問題や歴史を研究している県民がいなかった。ここで筆を折れば沖縄問題は統御不能になる、目先の自己利益を追求するよりも沖縄、日本のために大義に生きようと決断実行し、銀行に辞表を出した、エリートには使命感という指標が必要だ。」


Q.「現在の日本人が観念的な平和論に終始するようになったのは、GHQによる教育弾圧が原因ではないのか?」

A.「アメリカはその点、したたかな国だ。彼らは修身(当時の道徳科目)を廃止させたが、実はカリフォルニアの高校では、GHQが廃止させた日本の終身教科書の一部が英訳引用されていたのだ。また、特攻魚雷『回天』考案者の黒木博司海軍少佐(享年22歳)の遺書に至っては、アメリカ海軍のみならず英国、イタリア、パキスタンの指揮官育成教育に使われているという。我々もいたずらに戦前の人・思想を忌避するのではなく、優れたものは積極的に取り込んでいかなくてはならない。拙著『海の武士道』は山形県の公式道徳教科書に指定された。日本の教科書に旧軍人の話が掲載されるのは終身廃止以来戦後初めてである。被害者的史観を棄てて、GHQ以前の教育を自ら復活していけば良い」


所感


 今回の御講演を拝聴して、「外交とは力の均衡の上に成り立つ」の一節が印象的でした。平和とは尊いものである、というのは多くの人が共感する想いでしょう。そして、戦争を嫌悪することもまた自然なことなのかもしれません。しかし、戦争を「異常なこと・非理性的なこと・あり得ないこと」と片付けてしまい、それ以上の思考を停めてしまうことは非常に危険なことではないでしょうか。『国家論』の中でスピノザは、熱・寒・嵐・雷が大気の本性に属するのと同じように、愛憎といった人間の激情も過誤などではなく、人間の本性に属するのだ、と述べています。これは暴力、ひいては戦争にもあてはまることでしょう。国際情勢が均衡の上に成り立つのならば、戦争を否定し、想定もせず、戦争を連想させる事物をいたずらに排斥するのはあまり意味の無いことなのかもしれません。戦争という、人間の負の営みに今一度真摯に向き合い、理解を深めていくことの重要性を認識しました。今回御講演いただきました惠隆之介様、ありがとうございました。


文責:東恩納 麻州