2014年度 公開講演会

グローバルリーダーになるために ~斜陽と台頭という混沌を超えて~

特別講師 窪田良氏


 Front Runnerでは、「学生と社会をつなぐ」という当団体のミッションを達成するため、さらにより多くの方々に当団体の活動を知っていただくために、年に一度団体外部の方々と共に日本のこれからについて考える機会として、公開講演会を開催しております。今年度は去る11月14日、アキュセラ社ファウンダー・会長兼CEO、医師・医学博士、慶応義塾大学医学部客員教授としてご活躍されている窪田良氏を日吉キャンパスにお迎えし、ご講演いただきました。

 

「3万分の1」の新薬開発


 まず、アキュセラ社の事業である薬剤開発に関する一般的な話から始めたい。薬剤開発は非常に困難で、成功に至るまでの過程は失敗に次ぐ失敗であるそうだ。その成功確率を見てみると、薬剤開発の最初の段階で作り出される化合物は1万~3万個だが、成功する化合物はたったの1個だけであるという。その上、化合物を1個作るのに数週間~数か月という期間が必要であるため、膨大な人員と時間がかかる。そのため、ほとんどの場合は失敗に終わり、世界に名立たる製薬会社であっても、数年に一度という頻度でしか成功した化合物を作り出すことはできない。

 

 「売れるかどうかは別の話だが、例えば電話の新機種を開発して、電話がかからないということは決してない。しかし、新薬開発においては、どんなに患者さんに効果があると期待されて作られても、全く効果が出なかったり、最悪の場合によっては副作用がでるということが多々ある。結局、薬剤開発は失敗に次ぐ失敗であり、それがバイオ・ベンチャーの特徴である。」と窪田氏は主張する。


 開発プロセスの中で、化合物が発見された場合は、その有用性を調べた後、動物試験を行う。動物に投与する薬剤の量は人間に投与する予定の量の何十倍、何百倍であるという。その試験で動物に副作用が出ないことが証明されて初めて人間に投与することが可能となる。このような段階を踏むことが必要であるため、1つの化合物ができるのに10~12年もの歳月を要するという。したがって、R&D(研究開発:Research and Development )のサイクルも非常に長い。アキュセラ社が現在臨床実験を行っている加齢黄班変性の候補化合物である「エミクススタト」も、現在は臨床試験の最終段階にあるが、2016年の半ばに試験結果が出た時に効果が認められない、あるいは強い副作用があるなどの問題が万が一発覚した場合は、その段階で会社が続かなくなるという可能性も十分に温存されているという。3年前に資産7000億円の会社でありながらつい最近倒産したアメリカのある製薬会社の例からも、アメリカのバイオ・ベンチャーの新陳代謝の高さを窺うことができる。

 

 「過去30年間、新薬開発の成功確率は上昇していない。そこが新薬開発のユニークな点である」と窪田氏は続ける。その理由は、人間の体の仕組みがほとんど理解されていないことであるという。例えば、人間の遺伝子の数はハエと同じであるが、遺伝子の数と生物の関係性についてはまだ詳しいことがわかっていない。このように、生物学の世界にはいまだ解明されていない謎があふれているのだ。


 このような状況を背景に、新薬開発のコストは非常に高い水準から離脱せず、さらに近年はますます上昇しているという。1つの薬剤の開発コストは平均で約2700億円であると言われており、この数字は昔と比べると幾分か高くなっている。昔は比較的容易に治療可能な病気が多く、新薬を生み出しやすかったのに対し、現在では効果的な新薬が開発されていないのは残された難病ばかりであり、新薬開発自体が性質的に困難であるという状況も影響しているという。


 このため、現在の薬剤開発の現場では、失敗の数が増加し、より多くの挑戦が必要になるのだ。そのコストのうちの大半は人件費であり、特に医療従事者と患者へのコストが大きい。薬剤の開発には患者の身体で新薬の有効性や副作用を調べる段階が不可欠だが、そこでは患者の身体を一定の危険に晒すことになる。患者の命をある程度危険に晒さなければ新薬の開発ができないという医薬品開発の宿命があり、そのために膨大なコストがかかるという。


 また、日本では臨床実験が実施しにくいと言われる。その最大の原因としては、医療従事者以外の一般人の新薬開発への理解が進んでいないことが挙げられるという。日本とは対照的に、社会をより良くする新薬開発のリスクを、社会全体で広く薄く負担しようという意識が浸透している欧米では、手術を伴うような大規模な臨床試験であっても、協力者が瞬く間に集まるという。社会を良くするリスクを社会全体で負担しなければならないという意識が大切であり、新薬開発のスピードやコストも社会の意識次第で変化するのだ。


ベンチャーでこそ生まれるイノベーション


 このように、薬剤開発には莫大な資金と人材が必要である。ではなぜ、そのような世界にバイオ・ベンチャーが次々と挑戦し、名だたる大企業と競争を行うのであろうか。その理由を説明する資料として、窪田氏は一つのグラフを提示した。新たに発見された化合物のうちで、大企業とベンチャー企業に発見されたものの割合をそれぞれ示したグラフである。そこからは、近年は大企業よりもベンチャー企業の方が多くの化合物を発見しているということが分かる。資金面、設備面等で大企業に劣るにもかかわらず、なぜベンチャー企業は大企業を凌駕する成果を生産することができるのか。ベンチャー企業の強みとして、窪田氏は3つの理由を掲げた。


1.多様な専攻の接点の多さ

 製薬企業では、様々な専門分野を持った人間が働いている。異なる専門性を持つ人々が交流するという点では、ベンチャー企業は大企業に比べ優れている。なぜならば、企業の規模が大きくないからこそ、様々な分野の専門家が小さな空間を共有することができるという。


2.危機意識の高さ

 新薬開発はオール・オア・ナッシングの世界で、新薬が認可されるか、不認可となり撤退するかのどちらかしかない。また、研究段階での些細なミスで研究が頓挫するようなこともある。それほどのプレッシャーが究極的なイノベーションには必要である。いざとなれば親会社に戻ることができる大企業の社内ベンチャーと異なり、失敗が会社の進退に直結するようなベンチャーにおける新薬開発は、その究極的なプレッシャーゆえにイノベーションに繋がりやすいという。


3.チャレンジ精神の強さ

 大企業では実現可能性が低く、失敗するリスクの高いプロジェクトは採択されない。しかし、そのようなハイリスクなアイデアにこそイノベーションの源泉があるという。その点、たった1人のクレイジーなアイデアを持つ人がおり、それに一握りの投資家が結びつけばプロジェクトを実行に移すことができるベンチャー企業は、そのようなプロジェクトを推進するには最高の環境である。実際、常識的に不可能だと思われるプロジェクトに果敢にチャレンジしているベンチャー企業は多い。ハイリスクなプロジェクトが破壊的なイノベーションにつながる。


 これこそがバイオ・ベンチャーの強みであり、存在意義でもある。


アキュセラ社の理念


 現在アキュセラ社では、飲み薬による失明治療を目指し薬剤開発を進めている。同社の企業理念は「視力を脅かす眼疾患の撲滅を目指し、革新的な新薬の探索および開発に取り組む」となっている。

 

 経営方針の一つとして、「よりよい良い職場環境作りを目指し、社員の生活向上を重視する」という一文がある。アメリカにおいて終身雇用制度が存在しないという事実は、一見すると従業員にとって不利な労働環境ではないかと考えられるが、実際のアメリカにおける発想はその真逆であるという。人はいつでも自分の選択で職を移すことができるため、企業はより良い従業員の教育、職場環境作りを目指し、従業員にとって常に魅力的であろうと努力する。アキュセラ社においては、米国での平均的な1つのキャリア滞在年数である4~5年の間に、従業員にどれだけの技能を身に付けてもらい、次の職でどれだけの高い給料をもらえる人材になれるかということを意識しているという。このような世界は、楽をしたい、さぼっていたいという人にとっては非常に厳しいものである。しかし、他人とは違った付加価値を生み出したい、人の役に立ちたいという意思のある人にとっては最高の環境である。


米国には世界中から人が集まってくるため、一人ひとりのバックグラウンドは実に様々である。宗教も違えば、言語も教育環境も違う。ハイテクノロジーのベンチャー企業には外国人が多く、シリコンバレーで新規創業を行う半分以上が非アメリカ人である。その背景には、アメリカにおいては、自らが外国人であるという意識が常にあるという。アメリカにいる限り自分は外国人であるため、新たな付加価値を生み出すことによってアメリカに居る理由を証明し続けなければならない。このようなハングリー精神を持ち合わせているからこそ、起業家には移民が多いのである。


 このような多様性に溢れる環境の中でも仕事を円滑に進める上で必要となるのがコア・コンピテンシーである。Adaptive、Collaborative、Unique、Curiosity、Excellence、Long-Term、Accountableがアキュセラ社のコア・コンピテンシーとして掲げられているが、これは多様な人材が集まる環境の中で最低限守らなければいけない共通の価値観であり、会社の成長とともに少しずつ進化していくものであるという。


転校続きの幼少時代


 窪田氏が幼少期を過ごし、現在はアキュセラ社の本社を置くシアトルは、日本人の漁師たちが作った町である。かつて横浜―シアトル間の定期航路の就航を皮切りに日本人移民が多く移住し、現在も日本との親和性が高いこの町は、日本人CEOとして新たなチャレンジを行ってきた窪田氏には適した環境であった。

 

 窪田氏の現在の考え方には、幼少期の経験が非常に影響しているという。父親の仕事の関係で小学校の6年間で5回の転校を経験した窪田氏は、異質の環境に絶えず置かれていた。新しい環境に適応することは決して容易いことではなかったが、その経験のおかげで、10歳の時に移住したアメリカの環境にも柔軟に適応することができたという。

 

 アメリカに住んでいた当時の1970年代は、産業の発達段階である3つのI(アイ)、 Imitate (模倣)、 Improve (改善)、 Inovate (革新)の中で、日本はImitateの段階であった。そのため、当時のアメリカ人の中には外国の技術を模倣する日本人に対して悪いイメージを持つ人もいた。そのことを知り衝撃を受けた窪田氏は、自身の一生を懸けてイノベーションを起こし、日本への悪いイメージを払拭するのを人生のミッションとし、現在もこの思いを原動力にチャレンジを続けている。


 幼少期の窪田氏のアメリカでの体験は、その後の人生のベースを作り上げたといっても過言ではない。窪田氏がアメリカの小学校で学ぶ中で実感したのは、評価方法における日米の差異であった。当時窪田氏が通っていたアメリカの小学校では、小学5年生のカリキュラムに真珠湾攻撃に関する授業があった。教室のほとんどがアメリカ人であり、自分だけが日本人という状況の中で、どうしてもこの授業を受けることが嫌だった窪田氏は、画期的なアイデアでその授業を受けることを回避した。必死で勉強し、飛び級をしたのである。窪田氏はそれにより、真珠湾攻撃の授業を回避すると同時に、もう1つの利益を得た。飛び級という珍しい所業を成し遂げたことで、小学校の校長が「今まで私は日本人を軽視していたが、個人単位で見れば窪田さんのように凄い人間もいる」と、窪田氏を高く評価してくれるようになったのだ。この経験から、アメリカは国籍や学歴を問わず、個人の業績を評価するフェアな国であることを実感したという。


 このように環境変化に富んだ小学校時代を振り返り、当時の自らを落ちこぼれと評価する窪田氏。しかし、このアメリカでの飛び級の経験を経て、努力次第で自分自身を変え、さらに周囲の目線までも変えることができる、そしてそれは非常にやりがいがあるということを学んだと話した。


白の反対は何色?


 これは、窪田氏の人生の中で非常に深く印象に残っている事件である。

 

 アメリカへの転校直前に通っていた日本の小学校のとある授業で、先生が「白の反対は何色か?」という問いを出した。それに対して、多くの子どもたちが黒と答える中で、窪田氏の友人は黒ではなく、紅(赤)であると答えた。日本の伝統的な文化の中では、紅白という色の対比が様々な場面で登場するため、白の反対は赤でもいいのではないか、合理的な説明でもって窪田氏の友人は主張したが、先生は取り合わず「白の反対は黒でしょう」と諭すように否定した。

 

 この出来事を契機に、友人は学校に来なくなったという。一連の事件を目の当たりにし、紅白への親友のこだわりと、多数派の意見や常識を正解として認める先生の教育方針に窪田氏は違和感と衝撃を受けた。


 そうした違和感と衝撃を胸の奥に秘めアメリカに渡った窪田氏は、「暗記させずに考えさせる」という同国の教育方針に驚きを覚える。例えば、理科の授業では「月は自転するか?」という問いに対し、生徒が自分の考えを論理立てながら説明していく。回答の正誤を問わず、生徒がどれだけ論理的な思考プロセスを踏めたかを評価するアメリカの教育方針は、窪田氏の後の人生にも大きな影響を与えている。考えてみれば、人生の選択に確固とした正解はない。大切なのは正解を暗記することではなく、思考プロセスをどうやって組み立て、自分なりの答えを導くのかということなのだ。「白の反対は何色か」という一つの問いから、窪田氏は人生における重要なものさしを得た。


視野を広げた虎ノ門病院勤務


 窪田氏が臨床医として勤務した虎ノ門病院はユニークな病院だった。大学病院の研究室に所属する医局員が各地の病院に派遣されるのが当時は一般的であったが、医局から独立した存在であった虎ノ門病院は大学を問わず、第三者の推薦と試験での審査という採用方法を採っていた。それゆえに虎ノ門病院は特定の大学出身者のカラーに染まることなく、多様な人材が集まる場所であった。そのような環境で働くことが出来た経験は、自らの視野を広げることに貢献したと窪田氏は話す。


「やりたいこと」を追及したワシントン大学勤務


 窪田氏は2000年より、米国ワシントン大学にて眼科シニアフェローおよび助教授として勤務したが、その決断にも窪田氏なりの考え方が表れていた。再生医療の研究をするためアメリカへの留学を決めた窪田氏は、当時ワシントン大学とハーバード大学の2校の研究室から研究員の内諾を得ていたという。多くの友人や知人が世界一の知名度を誇るハーバード大学への進学を進める中、窪田氏は知名度ではハーバード大学に劣るものの、再生医療の研究では先進的なワシントン大学を選択した。その結果、自分のキャリアにプラスとなるような留学生活を送ることが出来たという。この経験から「何か選択をする時には、第一に自分が何をやりたいかを考えて欲しい」と窪田氏は加えた。


ベンチャー経営に必要なもの


 2002年4月、シアトルの自宅地下室にて設立されたアキュセラ社。同社の経営を語る中で、窪田氏はイノベーションとチームワークの二点を強調した。

 

 技術革新の中でコンピューターの性能は加速度的に向上しているが、新薬開発の仕事はコンピューターに取って代わられることはないだろうという。なぜならば、イノベイティブな考え方が求められるこの現場では、人間の直観力や判断力が大きな威力を発揮するからである。また、資金面に乏しく、一定期間内で結果を出すことが求められるベンチャーは、イノベーションを生み出すのには最適な環境であるとも窪田氏は指摘する。

 

 企業に大切なのは「ヒト・モノ・カネ」であるとはよく言われるが、プレッシャーの大きいベンチャー企業経営の経験の中で窪田氏が特に重要視しなければならないと感じるのが「ヒト」であるという。チームワークがしっかりしている組織には良い人材が集まり、力を発揮することができるのだ。


グローバルリーダーになるために


 飲み薬による失明疾患の治療を目指してアキュセラ社を設立し、新薬候補となる化合物をゼロから作り出す過程を2年間で達成することは不可能だと言われる中で、2年後に化合物「エミクススタト」を発見、そして現在は臨床開発を進める窪田氏。本講演会のテーマでもある「グローバルリーダーになるために」に沿って窪田氏は、自身のこれまでの経験を踏まえ、世界を舞台に活躍するのに必要な思考法などについて言及した。

 

正しい解法より正しい疑問


 日本人は問題解決能力には長けているが、より大切なのは適切な問題設定である。仕事をする上では仲間の協力を得ることが不可欠だが、そのためには多くの人々が共感し、解決したいと思うような問題設定をすることが前提となる。解くべき価値のある問題なのか。その問題に対し、自分の人生をかけることができるのか。それが、多くの人々の共感を得ることが出来るのか。このように自分に不断に問いかけ、解決する価値のある問題を設定することが重要であるという。


粘り強さ


 ベンチャー企業の経営を維持する上で最も大切なことは、粘り強さである。3万分の1の確立でしか成功しないといわれる新薬開発においては、来る日も来る日も失敗が続く中、成功を目指して試行錯誤を続ける粘り強さが何よりも求められる。諦めずに続けることができるかがイノベーションを起こせるかどうかのカギとなるのだ。


0から1を生み出すワクワク感


 「多くの人が無理だと考えることに挑戦するからこそ、チャンスがある。」

 窪田氏は講演の中で何度もこの点を強調された。例えば、現在アキュセラ社は飲み薬での失明の治療を目指しているが、研究開始当時眼の治療には点眼薬が一般的であったため、この計画は多くの人に反対を受けた。また、窪田氏が緑内障の原因遺伝子を発見したいと大学院の教授に掛け合ったときも、そのようなハイリスクな研究をして、博士号が取れなくなる危険を冒すべきでないと諭されたという。


 しかし、窪田氏は答えが出ることが保障されている研究に精を出すことに対して何の魅力も感じることが出来ず、新しい価値を生み出すような研究をしたいという思いから病気の原因遺伝子を見つける困難な研究課題に取り組んだ。その結果として、窪田氏の現在のキャリアがある。窪田氏は「0から1を作り出す面白さはもちろんだが、それ以上に、そこから想像をはるかに超えた新しい世界が開けるワクワク感がやめられない。」と、研究者から臨床医、経営者として様々な分野で活躍されてきた半生を振り返った。


クロストレーニング


 キャリアを構築する上で、自分独自の価値をどのように生み出すかを考えたときに、有用な考え方がクロストレーニングである。スポーツで複数の種目の運動を積極的に取り入れる練習法を表す言葉だが、ビジネスにもこの考え方は応用することができる。窪田氏は医者、研究者、経営者としての肩書きを持つが、そのように多くの専門性を身につけている人材は、考え方や経験の面で独自の価値を生み出すことが出来るようになるという。


違和感のある環境に身をおくこと


 窪田氏が心がけているのは、「違和感のある環境に身をおくこと」である。なぜならば、人間は少し苦手意識を感じる物事に取り組むときに最も大きな成長を見せるのであり、慣れはすなわち成長が止まったことを意味するからである。

ポジティブでいること


 昔「降水確率0%の男」と呼ばれたという窪田氏。その理由は持ち前のポジティブさにある。2005年、アキュセラ設立当時のビジネスモデルに欠陥が浮上したため、ハイリスク・ハイリターンな新薬の自社開発へと方針転換を行った時、当時40人いた従業員の約半分が辞めた。そのような困難な状況の中でも、窪田氏は「半分しか残っていない」ではなく「半分も残った」と考え、周囲の人々に驚かれたというエピソードは、そのポジティブさを如実に表している。企業を経営する上では、このような考え方が欠かせないと窪田氏は言う。


質疑応答


Q.チームのモチベーションを高めるためには何が重要か。

A.やりたいことをやることが一番大切。困難が山のように出てくるのがベンチャーであるが、それを続けていける唯一の根拠はそのプロセス自体を楽しめるか否かである。結果だけが全てだと思って追い求めてしまうと、失敗の連続に耐え切れず、事業を続けられなくなってしまう可能性が高い。学生のうちに多くのことにチャレンジしてみて、本当に自分がやりたいと思えるものに挑戦してもらいたい。

 

Q.起業に非常に興味があるのだが、起業の際に、リーダーである自分のこだわりとチームのマネジメントのどちらを重要視するべきなのか。

A.イノベーションを起こすには、自分個人ではなく、チームを重要視するべき。その前提として、まず最終意思決定についてルールを作っておく必要がある。リーダーである自分が最終意思決定を行うことがチームのパフォーマンスにとって合理性がないのであれば、リーダーは自分の考えに固執するのではなく考えを柔軟に変えたり、リーダーを交代する必要も時にはあると考えている。

 

Q.リスクを取らない日本の在り方。日本がより前進するためには、どのように変わっていけばよいのか。

A.リスクをとることがなければイノベーションも生まれないのであるから、リスクは悪いものであるという認識をまずは変えていく必要がある。また、無鉄砲にリスクをとるのではなく、社会に貢献するために、自分はどのようなリスクをとることができるのかを認識し、リスクを管理していかなければならない。


所見


 「世界を変える日本人」という肩書きへの期待を裏切らないクリエイティブかつエネルギッシュな講演内容で、非常に心を打たれました。他人がやらないことをする、そこにイノベーションの種があるという言葉には非常に納得しましたが、同時にリスクをとることを避けがちな日本人にとっては非常に困難なチャレンジであると感じました。ですが、グローバル化が進み、激しい国際競争の中で生き残ることが必要とされる現在、リスクの意識をグローバルスタンダードに合わせ、果敢にチャレンジしていくことが今の私たちに求められているのではないかと思います。

 

文責:山崎光将