2015年度 第7回勉強会

高齢化社会といのちの居場所

宮木大氏(在宅医療支援クリニック楓の風)

 12月11日、日吉キャンパスにて「高齢化社会といのちの居場所」というテーマの下、在宅医療支援クリニック楓の風に勤務されている医師の宮木大氏をお招きし、勉強会を行いました。

略歴


2001年 慶應義塾大学医学部救急医局入局

2004年 UNC(University of North Carolina) Emergency Medicine Resident

2009年 川崎市立川崎病院総合診療科副医長

2012年 医療法人社団楓の風 理事長

2015年 京都大学医学部大学院後期博士課程

 

2つの大きなテーマと京都大学大学院


 宮木氏は、最初に「高齢者と医療との関わりを理解すること」「日本の医療の現状を理解し、説明できるようになること」を大きなテーマとして提示されました。従来の在宅医療はその多くが医師の経験に基づいており、未検証だったと言います。「それは医療を受ける側にとって幸せになるのか」という疑問が、自分自身を在宅医療の道へと進ませ、さらにエビデンスを得るために、京都大学で公衆衛生学を学び始めたきっかけであったとのことです。

 

高齢社会の海外との比較


 宮木氏は本題の冒頭で、世界と日本の状況とを比較するため、いくつかのデータを提示されました。乳児死亡率はワースト1位のアフガニスタンで1000人当り165人に対し、日本はわずか3人。内科医師数は日本の10万人以上に対し、世界最小のツバルではたったの6人。平均寿命は日本の80歳以上に対し、世界最下位のボツワナでは40.5歳。65歳以上の高齢者数の割合では、日本が人口の25%に対し、UAEはわずか1.7%でした。

 続いて、高齢化社会から高齢社会へ移行するのに要した期間を海外の代表例と比較されました。フランス:115年、スウェーデン:85年、イギリス:47年に対し、日本はわずか25年で、高齢化社会から高齢社会に急速に移行したことが分かります。これらのデータは、日本の医療レベルが相当高くなったことも意味しています。

 

※  高齢化社会とは、65歳以上の高齢者数の割合が7%以上、高齢社会とはそれが14%以上の状態を指します。

日本の人口動態


 戦後以来、60年以上にわたって人口は増加を続けましたが、近年は減少に転じ、今の大学生が定年を迎えるであろう2055年頃には約9000万人になる見通しです。総人口の減少よりも速いペースで生産年齢人口が減少し、65歳以上の高齢者数の絶対数が当分の間増加するため、65歳以上の高齢者の割合が全体の約40%にまで上昇すると予想されています。このことは、人口に占める労働できない割合が増加することを意味します。日本は社会保障費のこれまで以上の増大など、非常に大きな問題を抱えていくことになります。とりわけ、団塊の世代が後期高齢者(75歳以上)となる2025年頃に急増する見込みです。

 

病気=健康でない?


 誰にでも死は訪れます。死因の3分の1ないし2分の1はがん(悪性新生物)であり、生涯のうちにがんに罹る人は全体の50~60%と言われています。それでは、病気にかかることそれ自体が「健康でない」と本当に言えるでしょうか。なぜなら、病気になるということは、すぐに日常生活に悪影響を及ぼすことに繋がるとは限らないからです。病気になったときにこそ、「日常生活をどう良くするか」ということが着目されます。医師の間でも、「病を制圧する」という考え方から、「病と付き合う」という考え方へのシフトが進んでいます。

健康にはお金がかかる


 医療レベルは年々高度になってきています。白血病の薬一つをとっても、戦後わずかの頃には年に1000円程度の薬しか開発されていませんでしたが、今日では年に数百万円かかる薬が登場しています。また、人工透析に要した費用は、日本の患者総額で1.4兆円であると言われています。

 日本では、国民皆保険や高額医療費制度があるため、治療にいくら費用がかかっても、月に患者が負担するべき額は負担割合によって月1~3万円に抑えられています。これは所得に関係なく医療を受けられる、という点で極めて優れています。しかし、患者負担額以外の残額は税金で賄われているため、そのことが国庫を圧迫しているのも事実です。そもそも、現在用いられている医療制度の原型は19世紀に開発されたものです。そのため、それから200年が経過した現在には、相当無理のある制度であることが考えられます。

日本の医療の現状


 近年、医師不足が大きく取り上げられていますが、その実像を明かしていきたいと思います。医師数では、平成10年の24.9万人から平成20年の28.7万人と、10年間で約15%増加しています。そして、この増加傾向は現在も継続しています。世界の人口当たりの医師数でも、OECD諸国の平均よりは少ないものの、以前よりはそれは改善されてきています。

 ただし、日本特有の大きな問題が2つあります。それは、地域間の医療と診療科に大きな偏りがある上、入院病床数が群を抜いて多いことです。後者を言い換えると、医師・看護師一人当たりが診なければならない患者数が非常に多いということです。その原因の一つには、病院で亡くなる方の割合・人数が年々増加してきたことが挙げられます。2030年にかけて、年あたりの死亡者数が約40万人増加すると見込まれていますが、病院での受け入れ、ひいては看取り先の確保が困難になることが大きな課題となります。

 以上の現状から、現在の医療構造では、医療の質が低下することが明白に予想されます。今後は、ICUから退院直前ないし長期療養までのフェーズに応じた病床の機能分割、在宅医療の充実が必要であると感じています。

Aging in place / community


 この考え方は、東京大学高齢社会総合研究機構特任教授の辻哲夫氏、および同機構長で教授の大方潤一郎氏が提唱し、私の考え方と合致したものとなっています。具体的には、それぞれ「住み慣れた自分のまちで住み続ける」、「高齢者が、できるだけ自立的に(心身が多少弱ってきた場合でも最小限の人の助けを借りつつ)快活に尊厳を持って、暮らしなれたコミュニティの中で人生を全うできる社会」というものです。この考え方が一つの柱となり、「東京大学柏プロジェクト」という社会実験が行われました。このプロジェクトにおける柱は他に2つあり、それぞれ「住宅政策と連携した総合的な在宅医療福祉システムの導入普及と政策提案」、「移動、健康づくり、生きがい就労、見守り等のコミュニティ形成研究と手法の提案」です。

医療側の大きなパラダイムシフトとして、「かわいそうな人を助けてあげる」という抑圧的なものから、「サポート、手助け、共創するものにする」という変化が挙げられます。

 

さまざまな「場所」


 今回のテーマにおいて、「場所」は2通りの意味を持ちます。それは、人が亡くなる場所と人が亡くなりたい場所です。今日の日本では、人が亡くなる場所、すなわち看取られる場所の8割弱が病院であり、1割強が自宅となっています。そして、施設・ケア付きの住宅での看取りは2.4%になっています。

 

―諸外国との比較:看取りの場所

順にそれぞれ、病院、自宅、施設・ケア付き住宅で亡くなる割合です。

スウェーデン 42%            20%    31%

オランダ        35%    31%    33%

フランス        58%    24%    11%

 

 どれが良いのかという判断はできませんが、日本の病院で亡くなる割合の多さが際立っています。そして、日本で行われた「亡くなりたい」場所についての調査のデータによると、平成10年、15年、20年のいずれの年度でも、全体の6割以上が「自宅で療養」を希望しています。

なぜミスマッチが生じるのか


 今後の療養の場に関する患者と家族の希望に関する調査データを紹介します。患者の希望では自宅での療養を希望する割合が最も多い(37%)のに対し、家族の希望では、医療機関での療養を希望する割合が最も多い(60%)という結果となりました。しかし、患者側の「希望を把握していない」の割合が26%、家族側の「希望を把握していない」の割合が11%であることも無視できません。希望と現実とが乖離している理由は、患者からすれば「介護してくれる家族に申し訳ない」、家族からすれば「状態が急変した際の対応に不安」が最も大きなものでした。しかし、終末期に状態が急変する際においては、病院においても特にできることはありません。そして「病院だから何かできる」という幻想を持っている人が多いと感じます。

全人的な痛みとその緩和


 WHOの定義では、「身体的苦痛、精神的苦痛、スピリチュアル的苦痛、社会的苦痛の四つが複合的に合わさり「全人的な痛み」がもたらされる」とされています。そして、医療従事者は、その痛みを「継続的に」緩和することを目指しています。がんの治療一つをとっても、旧来の考え方では、まず治療を行い、それが不可能になって初めて緩和ケアを行うというものでした。しかし、治療が不可能となってから亡くなるまでの「緩和」の期間は、平均して45日であり、患者さんがその期間で感情の整理を、あるいは医者がそのケアをすることは困難でした。そのため、今日では「がんの診断があった時」から治療と緩和ケアとを平行して行うことによって、患者さんのQOL(Quality Of Life)の維持向上を図る方式に変化しました。

 また、「死ぬこと=負けること」の図式は本当に正しいものなのでしょうか。私は、この図式は一生をかけ、何かの折毎にふと考えるべきことであると考えます。

質疑応答


― 高齢者の方と関わる際に意識することは何でしょうか。

 高齢者の方々は自分よりも人生の先輩であるため、相手に対する尊厳を保つように意識しています。「おじいさん、おばあさんと言うこと」は高齢者に嫌がられることです。生まれた時から今日までに経験された物語の最期を、どのように紡ぐのか、どのように手助けをするのかが我々の仕事だと考えています。

 

― 高齢者の生活の質をより良くするために、心がけていることは何でしょうか。

 医師はその習性的に、症状、ひいては人をコントロールしようとするため、人を慮る能力が低いと言われています。その一方で、看護師はその能力が非常に高いとされています。もちろん、アイスブレーキングの技法や、患者の年代が読むであろう雑誌等を読むなどして、医師としてもその改善に努めています。

 

― 治療をせず、または薬を投与して死を選ぼうとすることについてどうお考えでしょうか。

 前者については、十分にベネフィット・リスクを考慮し、予後が悪いときには治療の中止を考えて良いと考えています。後者については、安易にシステマチックに行われ、人としての尊厳を蔑ろにする危険性が高いことが課題であると考えています。実際に、安楽死が認められているオランダでは、十分な過程を踏まずに無機質に安楽死が行われているケースがあります。

 

― 祖父母、父母の介護が必要となったときに備え、何か準備をしておいた方が良いのでしょうか。

 もちろん準備をすることに越したことはありませんが、実際に備えている人はほとんどいません。なぜなら、「自分の親が要介護になる」とは誰も考えたくないものだからです。しかし、ケアマネージャーは在宅介護に関する情報を、分かりやすく説明する必要があると考えます。

所感


 「相当に進んでいる高齢化、しかし自分のこととして捉えてはいない」ということが露呈しました。思い返せば、親がいつまでも健康であることの保証はどこにもありません。今まで元気そうにしていた父母が、いつ倒れるかは誰にも分かりません。宮木氏は、医師として成長を続けるために自分自身で課題を見つけ、たゆまぬ努力をされており、その姿勢を見習っていきたいと思います。「死は負けなのか?」という問いに対して、「立派に生きての」死は負けではないだろうと、私は考えています。しかし、「立派に生きる」こととは果たして何を意味するのか、これから数十年にわたり生きる上で、しばしば考えなければならないと思います。

 

本日は素敵なご講演をありがとうございました。

 

文責 後藤 拓野